about

’近代の詩人は、詩的言語を「舞踊」、散文の言語を「歩行」にたとえた。しかし、当の「舞踊」は近代以降、他のさまざまな行為と同様に、理性の暴力に遭遇することで、その内実を失いかけた。創造は常に根源的な息であり、心と心臓の鼓動であり、理性への暴力のはずだった。そして、創造も理性も暴力ではなくなったかのように見えた。

(中略)
ダンス、それが真に信じ得るもので在るのであれば、本然的に目的のない行為。その内にすでに内包している問を創造する行為。その曖昧で固有の窮地でしか起こり得ない体験を、おそらく、彼らはいち早く彼ら自身でそれを発見したはずである。(さっさとそうするべきである。)

彼らのダンスは彼らではなくなる(笑)
存在の夜の部分へのノスタルジー(仮)
そんなことを言っても、彼らは口ごもるだろう。(嘘)
言い表すことの出来ない口ごもる無言の「無」の先にしか彼らのダンスはないのだから。(溺れろ)’

words by Snoooooooooo aka Xenophile 
http://snooasanunartist.wixsite.com/snoooooooo

 

「Nous」古都京都にて発芽。幾多の時間軸において彼等の創り出す空気感を五感で感じる事はとても有意義である。命の表現には多種多様な形態が存在すると思うが、「Nous」の生きる呼吸はいくつもの光を感じさせ、感じる者に新しいインスピレーションを産ませるであろう。無我夢中に唯一無二のその姿は宇宙を自由気ままに遊んでいるようである。そこでは新たなイメージの誕生を感じずにはいられない。その世界観には体験した者にしかわからない感覚。喜怒哀楽の先の共感覚。時に歪で麗しくも気持ちの良いダンスはジャンルという壁を壊し、再構築された認識の中で踊りだすだろう.. 愛するこの星の記憶の中で…

words by seigo/kyoto
https://www.facebook.com/seigo.tanabe.1